8.19クーデターでのモスクワ放送

 今日は、ソ連共産党崩壊、ひいてはソビエト連邦崩壊の引き金となった、8.19クーデターから20年目の日。その時私は高校3年生。年がバレるなww

 以下、記憶に基づいて書いているので、事実と異なる部分があるかもしれない。

 当時、私はペレストロイカをきっかけにソ連・ロシアに興味を持ち始め、夜はよくモスクワ放送(現:ロシアの声 Голос России ゴーラス・ラッスィーイ)の日本語放送を聞いていた。軍縮問題や領土問題などでは当然ソ連の肩を持っていたが、それでも宣伝臭はそれほど強くなく、ロシア文化の紹介や当時勃興しつつあったロシア・ロックや流行音楽の紹介等々が楽しかった。私のロシア文化好きもその辺から始まっている。

 1991年8月19日、テレビでソ連の保守派クーデターのニュースを目にし、果たして今日の番組はどうなっているだろうかとハラハラしながら、夜9時ごろにラジオの周波数をモスクワ放送に合わせた。当時のモスクワ放送の周波数は中波1251kHzで、日本のAMラジオ局と近く、よく混信していたので、自分の家のラジオのダイヤルをうまく合わせるのにちょっとしたコツがいった。

 周波数をうまく合わせて、しばらく待つといつものように9時のニュース番組の放送が始まった。ニュースはいつもはBGMが流れるなか、アナウンサーがニュースを読み上げる。だが、その日だけはBGMがなく、日本人アナウンサー(お名前は失念)が番組の最初の10分ほど、感情のこもらない棒読みでクーデター派「国家非常事態委員会」の声明の日本語訳を淡々と朗読(短時間でよく訳したものだ)。その日本人アナウンサーはいつもは明るい口調でハキハキと話すし、ニュース以外ではけっこう軽口も叩いていただけに、モスクワ放送で何かが起きていることが感じられた。

 その後、何事もなかったかのように音楽の時間へ移行。音楽の時間もアナウンサーはほとんど話さず、ただ音楽を流すだけだった。

 Wikiの記事によれば、当時放送局にクーデター部隊が乗り込んできて、脅迫されていたらしい。

Wikipedia ソ連8月クーデター (2011.8.19閲覧)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E9%80%A38%E6%9C%88%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC#.E4.BD.99.E6.B3.A2

 翌日にクーデターが鎮圧された後は、いつものモスクワ放送に戻った。

 さて、今日は久しぶりに聴いてみようかな。

8.19クーデターでのモスクワ放送” に対して6件のコメントがあります。

  1. tomohiro より:

    私もロシア文化は凄く関心があります。
    母親が露西亞を悪魔が住んでいる国の用に考えて居る事が切欠でしょうか
    私はその露西亞嫌悪は、過剰な幻影として信奉している豊かなアメリカという
    考えが凄くうさんくさくてついて行けなかったという部分にあるかもしれません。
    (アジアに関する考えも豊かなアメリカという考えへの反発かも・・・。大阪とは違って関東や鹿児島では豊かなアメリカという考えが受け入れやすかったのかも)
    自分が小説と考えるとロシア製兵器のイメージを能くすることがあります。
    その後ロシア文学とかよく読んだな・・・

    1. 電羊齋 より:

      私の場合は、欧米に対する反発うんぬんというよりも、一風変わった文化としてロシアに関心を持ったのがきっかけでしょうか。アメリカ崇拝への反発が全くなかったとはいいませんが、それよりもロシアの独特な魅力の方がはるかに上回っていました。
      その後チェーホフの「かもめ」や「イーゴリ軍記」等を読みました。『戦争と平和』とか『静かなるドン』のような大作はちょっと取っ付きにくくて手が出ませんでしたが。

    2. 通りすがり@日本人 より:

      あたいは文字絡み。もといザ・ピーナツ(古!)絡み。
      ずばり「恋のバカンス」という歌謡曲ww。
      タイトルから想像できるように明るい歌なのですが、
      長調とも短調ともいえない「微妙な暗さ」が、かの地にもウケた由。
      逆に、かの地の国歌やゴルバチョフさんの演説は、
      政治的スタンスに関わらず、日本語人の私は「気持ちいい」と思います。
      (内容が判ると鼻白むと思いますが。)

      1. 電羊齋 より:

        そうですね!
        ロシア語はなんとなく美しい響きがあります。
        確かに国歌のソ連時代の歌詞は日本語訳を読んでみるとかなりアレですが……(^_^;)。
         
        ザ・ピーナッツがロシアで受けたという話ですが、自分もその話自体は知っていましたが、なぜ受けたのかはよくわかりませんでした。
        ですが、通りすがりさんの「微妙な暗さ」という言葉で合点がいきました。
        ロシア人・ロシア文化には大陸的なおおらかさと一種トボけた味わいがありますが、その一方で暗くてウェットなド演歌的感性も持ち合わせているところがあります。
        その辺の感性にザ・ピーナッツがうまくはまったのかも。

  2. たかお より:

    はじめまして、僕も多分ブログ主さんとほぼ同年齢で、あの日のモスクワ放送を聴いていました。
    ずっと音楽が流れていたことしか覚えていませんが、「何かが起きた」ことは解りました。

    1. 電羊齋 より:

      こちらこそはじめまして。
      コメントを頂き、ありがとうございます。
      あの日のモスクワ放送をお聴きになった方に来ていただき本当に嬉しく思います。
      記事の方にも書きましたが、あの日は最初にクーデター派の声明文を読みあげてからは、ずっと音楽が流れていました。いつもは音楽の合間にトークが入るのに、その日はほとんど何もなかったのが印象的でした。
      今後ともよろしくお願いいたします。

コメントは受け付けていません。