10月5日 星期三 雨转多云 重阳节
今天是农历九月九日,重阳节。
大连,从早上开始一直是阴雨天气,雨断断续续。
中国的朋友们都利用国庆节黄金周回家乡,对我来说有些无聊。
翻译的原稿进度现在是草稿完成的阶段,只有修改,版面布局和做图表。截稿期是10日,今天我干脆给自己放假,睡到10点左右。
下午雨停了,去遛狗。
提起重阳节,就想起王维《九月九日忆山东兄弟》这首诗。这首诗跟住在异国他乡的我的心情一模一样。
我好久没回乡了啊……
今日は旧暦九月九日、重陽の節句(重陽節)。
大連は朝から雨が降ったりやんだりのぐずついた天気。
中国の友人たちは国慶節ゴールデンウィークで帰省しているので、自分としては少々退屈。
翻訳原稿の進度は、下訳が完了し、あとは修正、レイアウト、図表作成のみ。納期は10日なので、今日は思い切って休みにして、10時頃まで寝た。
午後、雨が上がったので、犬を散歩。
重陽の節句といえば、王維の「九月九日山東の兄弟を憶ふ」という詩を思い出す。この詩は異国で暮らしている自分の気持ちそのまま。
もう長いこと帰ってないなあ……
王維
九月九日憶山東兄弟
獨在異鄕爲異客
毎逢佳節倍思親
遙知兄弟登高處
徧插茱萸少一人
九月九日山東の兄弟(けいてい)を憶(おも)ふ
獨(ひと)り異鄕に在(あ)りて異客(いかく)と爲(な)る
佳節(かせつ)に逢(あ)ふ毎(ごと)に倍(ますます)親(しん)を思ふ
遙(はる)かに知る兄弟高きに登る處(ところ)
徧(あまね)く茱萸(しゅゆ)を插(さ)して一人(いちにん)を少(か)くを
私はただ一人異郷の地にあって旅人となっている
めでたい節句の日を迎えるたびによりいっそう肉親のことが思いやられる
はるかに遠い故郷で兄弟たちが山に登っているところが思い浮かぶ
みんな茱萸の枝を頭に挿しているが、その中に私一人だけが欠けている
唐代中国の重陽節では、一家揃って茱萸の枝を頭に挿して小高い山に上り、邪気をはらう習わしがあった。茱萸とはカワハジカミを指し、香気があり邪気をはらうとされていた。現代の中国でも旧暦九月九日には「登高」という山に上る習わしがある。
“10月5日 星期三 雨转多云 重阳节” に対して2件のコメントがあります。
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朝から雨。晩秋の雨は、それなりにいい風情です。播州の雨。
む、にゅうめんが食いたくなったゲマ。
さて時期遅れの重陽レス。
>もう長いこと帰ってないなあ……
三笠の山にいでし月かも。季節の話題として洒落ています。
さて『満語365句』によると、
重陽節は uyungge inenggi という由。九という日? 直球です。
登高は uyulembi 。九する? 意味の派生っぷりが豪快です。
辞書では重陽登りとか訳していました。
現代日本では耳にしない登高の習慣ですが、
王朝人は漢籍を通じて知っていたようです。
>採故事於漢武。則赤萸挿宮人之衣。
>尋旧跡於魏文。亦黄花助彭祖之術。
>紀長谷雄
故事を漢武に採れば、すなはち赤萸(せきゆ)を宮人の衣に挿(さしはさ)む、
旧跡を魏文に尋ぬれば、また黄花彭祖が術を助く
日本での派生も豪快ってか壮大です。
>ひさかたの雲のうへにて見るきくは
>あまつほしとぞあやまたれける
>藤原敏行
雲は殿上の意味らしいので、実はせせこましい。
長文深謝
レスが遅くなってしまい、申し訳ありません。
ここ二週間ほどは仕事に追いまくられてました。
今日は風邪気味でもあるので、思い切って休みを取りました。
>さて『満語365句』によると、
>重陽節は uyungge inenggi という由。九という日? 直球です。
>登高は uyulembi 。九する? 意味の派生っぷりが豪快です。
そうですね。直訳すると確かに「九という日」、「九する」。めっちゃ豪快というか、直球と言うか、融通無碍なやり方だと思います。満洲語では、いろんな単語を「-lambi/-lembi」で動詞化することが多いですが、そのなかでもこれはかなり豪快な部類ですな。
満洲人の文化吸収法の一例として、興味深いものがあります。
それと、日本の王朝人の教養と豪快な派生っぷりも大したもの!
先人のこういうところは見習いたいです。
にゅうめん。久々に食べたいですねえ~
日本の味が恋しいので、月一ぐらいのペースで日本料理を食べてますが、にゅうめんのような庶民的な日本料理はほとんど見た事ないですね。こちらでは日本料理は少し高級な位置づけですので(吉野家のようなファストフードは除く)。