東京遠征 その八 親征平定東京方略 卷八 聖地巡礼 下(完)

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ニコライ堂
ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)

 

 秋葉原をひと通り見てから、マクドナルドで昼食を取り、歩いて御茶ノ水に戻り、ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)へ。
 東方正教会の教会内部をじかに見るのは初めてなので少しドキドキした。

 礼拝を終えて出てきたひとたちはロシア、東欧出身と思われる方々が多かった。

 建物の外観、内部の装飾、イコン、どれをとっても美しい。

 2006年にハルビンで聖ソフィア大聖堂を見学したときはすでに寺院としては機能しておらず残念な思いをしたが、今回初めて東方正教会の「生きた」教会を見ることができ感激した。

 関係者や司祭の方のお話を聞き、これまた感銘を受けた。
 その内容は、正教についての簡単な説明、ニコライ堂の歴史、日露戦争のころのエピソード、東日本大震災発生当時の様子などなど。
 今まで知らなかったことばかりで、大いに刺激を受けた。
 これから折にふれて正教やロシアについて勉強していきたいと思った。

 

ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)公式サイト:
http://nikolaido.jp/

 それから電車を乗り継いで浅草寺へ。

雷門
雷門
仲見世通り
仲見世通り
本堂
本堂

 

 ここも中国人観光客が多かった。

 本堂前の香炉で、線香を両手に捧げ持つ中国式のあげ方をしている中年男子がいた。おそらく中華圏出身の観光客だろう。
 本堂前は大賑わい。
 本堂にお参りし、線香の煙を浴びて、仲見世通りで人形焼を買った。

 浅草駅前に人力車を引っ張るムキムキな車屋さんが数人いたが、男一人で乗るのも照れくさいので今回はパス。

 隅田川にかかる橋の手前でスカイツリーの写真を撮り、また電車を乗り継いで夕方の宮城二重橋へ。

東京スカイツリー
東京スカイツリー

 

 二重橋前は中国人観光客が十人ほど。日本人は私以外いないようだった。
 彼らの話の内容を聞いていると、中国人観光客にとり皇室とは珍しいというか、興味津々な存在であるらしい。
 逆に言えば、今の日本人にとっては皇室という存在は空気にように当たり前すぎるのかも。
二重橋
二重橋

 

 二重橋前では太った警官が長い棒を持って周囲を見張っていた。
 一日中歩き回って疲れたので楠木正成の銅像前のベンチに座って、ジュースを飲みつつ休憩。

 その後神田に戻り、回転寿司とスーパー銭湯で時間を潰す。
 22時頃東京駅に戻り、コインロッカーから荷物を出し、付近で夜行バスに乗車し、大阪へ。
 帰りの夜行バスは独立シートだったので快適そのもの。ただ、冷房が効きすぎて寒く、よく眠れなかった。次回からは上着を着て調整したい。
 翌朝梅田に到着し、そのまま仕事へ。

 これにて東京遠征作戦は無事終了。
 今回の遠征はいろいろな面で有意義だった。

東京遠征 その八 親征平定東京方略 卷八 聖地巡礼 下(完)” に対して1件のコメントがあります。

  1. tomohiro より:

    私は、関東生まれ関東育ちですが、近畿圏など他県の人に少し辛口のコメントを。
    浅草・深川・上野といった地域は、関東文化の揺籃の地として、他の関東地方
    (特に南関東)は、ここの文化の流れに隷属しているというニュアンスがありますが、
    ここ30年ぐらいは、浅草・深川・上野とは、考えの乖離が見られるように思えます。
    多摩地域の人が新選組を担ぎだし、
    大田区が朝ドラ「梅ちゃん先生」をnhkに持ち込んだりして
    「下町と違う関東・東京」みたいなことを言い出したりするのは
    浅草・深川・上野が他の関東地方と違う行動をし始めたことだと思います。
    特に上野駅が出来てからは、東北との関係性を強めて、
    かえって、彼ら下町人がかつて田舎だと考えた場所との考えを違って見せるようなことが
    できてしまったからです。
    多摩や大田区、神奈川県といった地域にはなぜだか沖縄や西日本出身者が多く住みたがります。
    先日亡くなられた水木しげる氏が多摩・調布に上京して居を構えたのも、
    浅草・深川・上野の空気と合わなかったからではと思います。

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