瀋陽・遼西旅行記 その7 西塔コリアタウン・回民市場・瀋陽金融博物館(2012.8.25)

 昨年8月の瀋陽・遼西旅行記の更新を再開します。ずいぶん間が空いてしまいましたが、なにとぞご寛恕のほどを。

 写真は全て2012.8.25撮影。

 太平寺(錫伯家廟)の見学を終えてから、バスで盛京四寺の一つ護国延寿寺(西寺、西塔)に行ってみたが、拝観時間がすでに終了。なんと午後3時で閉門とのこと。

 寺院付近の地区は「西塔」と呼ばれ、瀋陽の韓国・朝鮮人・朝鮮族街として有名。コリアンレストラン、カラオケ、バーが林立している。夜はネオンがド派手。
自分も瀋陽留学中に韓国・朝鮮の留学生と時々ここに遊びに来ていたことがある。

瀋陽市朝鮮族文化芸術館西塔の街路001西塔の街路002朝鮮百貨(朝鮮族向けデパート)のショーウインドウ新華書店朝鮮文書店西塔の街路003
西塔の風景(写真をマウスオーバーするとキャプションが表示、クリックすると拡大表示)

 瀋陽は昔から朝鮮族が多いこともあり、韓国との結びつきが強く、韓国企業の進出が盛んで、韓国人留学生・ビジネスマンが多い。
瀋陽故宮でも、崇政殿前の建物で中韓国交樹立20週年記念行事の一環として、韓国の画家の個展が開かれていた。

 同じ遼寧省の大連は日本との結びつきが強いので、ちょうど遼寧省の二大都市で対韓、対日関係を分業している格好となっている。

 

 それから、西塔からバスで東に戻り、西関の回民小区と回民市場をブラブラ。
回民小区は瀋陽市の回族コミュニティで、回族の団地や回族の幼稚園等もあった。
(左)瀋陽伊斯蘭教経学院(瀋陽イスラーム教経学院)・遼寧省伊斯蘭教協会(遼寧省イスラーム教協会)、(右)瀋陽市伊斯蘭文化芸術展覧中心(瀋陽市イスラーム文化芸術展覧センター)
(左)瀋陽伊斯蘭教経学院(瀋陽イスラーム教経学院)・遼寧省伊斯蘭教協会(遼寧省イスラーム教協会)、(右)瀋陽市伊斯蘭文化芸術展覧中心(瀋陽市イスラーム文化芸術展覧センター)

瀋陽市伊斯蘭文化芸術展覧中心(瀋陽市イスラーム文化芸術展覧センター)
瀋陽市伊斯蘭文化芸術展覧中心(瀋陽市イスラーム文化芸術展覧センター)
瀋陽伊斯蘭教経学院(瀋陽イスラーム教経学院)
瀋陽伊斯蘭教経学院(瀋陽イスラーム経学院)・遼寧省伊斯蘭教協会(遼寧省イスラーム教協会)

 瀋陽市伊斯蘭文化芸術展覧中心(瀋陽市イスラーム文化芸術展覧センター)(左上写真右、右上写真)は元モスク(清真寺)であったらしい。
訪れた時はちょうどラマダン明け(開斎節)を記念した「回族書画展」が開催されていた。展示内容は回族による書画作品及び瀋陽の回族、モスク等についての説明。
漢字やアラビア文字による力強い書道作品や優れた絵画が多く、これが「回儒」の伝統かと感心。撮影禁止だったのが残念。

 この回族コミュニティの中に位置するのが回民市場。
中は羊肉やハラールフードが売られていた。

西関回民市場
西関回民市場(南口)

 それからバスでまた東に戻り、道観の太清宮を見学しようとしたが、またしても拝観時間に間に合わず、翌日に回すことに。

 その後タクシーで張氏帥府隣の瀋陽金融博物館へ。
建物は奉天軍閥の銀行「辺業銀行」の物を利用している。
到着時点ですでに5時近かったので、張氏帥府の見学はパスして、金融博物館だけを見学しようとして、金融博物館の入場券を購入しようとしたが、係員によると、入場券は全て張氏帥府・金融博物館共通入場券となっており、金融博物館単独のものはなかった。

 そこで、やむを得ず共通入場券を購入し、張氏帥府東の趙一萩(張学良の愛人、後の妻)の故居を見学した後、瀋陽金融博物館へ。
張氏帥府はすでに2回見学しているので、今回はやむを得ずパス。

 張氏帥府前の張学良像趙一萩故居
 張学良像               趙一萩故居 

 瀋陽金融博物館(旧辺業銀行)
瀋陽金融博物館(旧辺業銀行)

瀋陽金融博物館の一階入口ホールは20世紀前半当時の銀行の様子を再現。
一階入口ホール001一階入口ホール002
一階入口ホール003一階入口ホール004
一階入口ホール005一階入口ホール006
瀋陽金融博物館一階、辺業銀行当時の様子を再現

 人形の出来がかなりよく、見学の観光客と入りまじり、どれが人間でどれが人形か割らなくなりそうだったw

  内部は世界各国の紙幣・硬貨、貨幣と金融の歴史、そして、人民元の偽札も展示されていた(これらの部分は撮影禁止)。展示されていた100元札の偽札は、素人目には全く見分けがつかなかった。あと、金ピカの金運祈願の部屋もあったりした。

出口ホールは証券取引所を模していた。各国の証券取引所の説明パネルやプレートもあった。

証券取引所を再現東京証券取引所のプレート
証券取引所を再現           東京証券取引所のプレート


そして、なぜかビル・ゲイツの人形と写真が撮れる場所も(有料)。
思わず苦笑してしまった。

ビル・ゲイツ人形
ビル・ゲイツの人形。向かい合った椅子に座って写真が撮れる(有料)

 面白い展示が多く、貨幣や経済史に興味のある人は絶対行くべき!
ただ、元銀行の建物をそのまま利用していることから、内部はかなり入り組んだ構造となっており、展示順路は廊下をクネクネ曲がり、階段を登ったり降りたりさせられた。この点は玉にキズ。

 見学が終わってから、発掘調査中のヌルハチの寝宮「汗王宮」の遺跡を覗いて来た。塀が高かったので、近くにいたおっちゃんたちがリアカーを塀に横付けして台にしてくれた。ちょうど警備の人が近くにやってきたので、許可を得て、塀の上から覗かせていただいた。
報道写真でおおよその様子はわかっていたものの、実際に見ると感慨もひとしおだった。

 それからホテルへと戻り、少し休んでから地下鉄で瀋陽駅へ。
一度瀋陽の地下鉄に乗ってみたかった。

地下鉄券売機(懐遠門駅)切符(磁気カード)
地下鉄券売機(懐遠門駅)                       切符(磁気カード)
懐遠門駅ホーム瀋陽駅出入口
懐遠門駅ホーム            瀋陽駅出入口
地下鉄瀋陽駅出入口
地下鉄瀋陽駅地上出入口(電光掲示板の日付がおかしい)
左手奥に見えるのは中国国鉄の瀋陽駅。

 瀋陽駅前や太原街界隈は地下街の工事中だった。
太原街のマクドナルドで食事をしてから再びホテルへ戻り、シャワーを浴びて就寝。

 (本当はもっと別のものを食べたかったのだが、お腹の調子がやや悪かったので「安全牌」のマクドにした)

瀋陽・遼西旅行記 その8 南塔・太清宮・北塔(2012.8.26)

瀋陽・遼西旅行記 その7 西塔コリアタウン・回民市場・瀋陽金融博物館(2012.8.25)” に対して7件のコメントがあります。

  1. myoukaku より:

    瀋陽市内の画像、興味深く拝見させて戴きました。以前、東北大学で学会があったとき以来訪問していないので、地下鉄開通や繁華街の様子に見入っておりました。大連-日本、瀋陽-韓国という分業交流はなるほどと思います。瀋陽-朝鮮という交流もありますね。JS(高麗航空)は、かつて大連便もあったのですが、結局、平壌-北京、瀋陽、澳門が残りました。

    1. 電羊齋 より:

      コメント返信が大変遅くなり、申し訳ありません。
      なるほど。確かに瀋陽-朝鮮という交流もありますね。
      この記事で取り上げた西塔コリアタウンにも北朝鮮系の店がありましたし。
      (大連にもあるようですが、行ったことはありません)

      1. 電羊齋 より:

        追伸
        自分が留学していた遼寧大学にも北朝鮮からの語学留学生がいました。
        彼らはエリート層らしく、頭がよく、中国語も相当上手でしたし、人当たりもいい感じでした。
        韓国人、日本人とは割と仲良く付き合ってましたね。

  2. 紫霞淵 より:

    初めまして。 ソウルに住んでいる「朴(ピアオではなく、パック)」と申します。 満州語の資料を探す途中このサイトを訪れました。 実は、それもかなり以前(昨年初ぐらい)ですから、今度は久しぶりの訪問です。 普通はウィンドウショッピングモードですけど、このスレーはあまりにも興味津々なのでコメント残すのが我慢できなかったんです。(大学一年生の時、満州語の授業時間で、「ニサンシャーマン神歌」を専攻した老先生が、瀋陽踏査の物語を語りながら、ヌルハチの生家と言われるところに行ってみたが目覚まし時計があった!時計なんて使ったはずがないよ!ありえない!といったことが思い出しました。 瀋陽の宮で展示会が開かれたということもびっくりしました。 ) 素晴らしい学識と流暢な漢語(nikan i gisun)実力が本当に羨ましいです。 21か月の軍務のせいで、満州語は文字までほとんど忘れてしまいました。 今覚えているのは精々「amba age si aibici jihe」と「si coohiyan i niyalma kai, geri ai shoro de nikan i gisun be mucaku sain i taciha」この両句だけです。 これからもどうぞよろしくお願いします。

    1. 電羊齋 より:

      朴様、はじめまして。
      コメント承認ならびにご返事が遅くなってしまい申し訳ありません。
      今週末は友人の結婚式のため大連に滞在しており、本日夕方大阪に戻りました。
      韓国の同好の士に日本語でのコメントを頂き、誠にうれしく思います。
      私は学識も漢語(nikan gisun)もまだまだです。満洲語もここ数年は仕事等で忙しく、すっかり忘れてしまいました。今では辞書を引きながら、ゆっくり読むことしか出来ません。

      >(大学一年生の時、満州語の授業時間で、「ニサンシャーマン神歌」を専攻した老先生が、瀋陽踏査の物語を語りながら、ヌルハチの生家と言われるところに行ってみたが目覚まし時計があった!時計なんて使ったはずがないよ!ありえない!といったことが思い出しました。

      そんなことがあったんですねえ。中国の文化財に対する扱いは実際いい加減なところがありますね。
      ところで、「老先生」というのは、ひょっとして成百仁先生のことでしょうか。
      日本の満洲語学会でも成百仁先生はよく知られています。

      現在は多忙のため、記事の更新が滞りがちですが、なんとか時間を見つけて、少しずつでも清朝史・満洲語関連の記事を載せていきたいと思います。
      こちらこそ今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

  3. tomohiro より:

    この資料が此処のサイトに掲載された時点で、いうかいうまいか迷っていましたが、
    なかなか趣深い物を感じます。
    私が感じたのは日本や韓国の影が濃厚で同じ華人圏の臺灣の影が凄く薄い。
    不思議な物です。

    1. 電羊齋 より:

      コメントありがとうございます。
      そうですね。東北 Dongbei は歴史的・地理的な理由で、日本や韓国の影が濃厚ですね。
      日本企業や韓国企業も大挙して進出していますし。

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