潘向明「論醇親王奕譞」
醇親王奕譞(じゅんしんのう えきけん chun2 qin1wang2 yi4xuan1)
道光帝の第七子。妃は慈禧太后(西太后)の妹。光緒帝の実父で、「末代皇帝」宣統帝溥儀の祖父に当たる。
兄咸豊帝の即位時に醇郡王に封ぜられ、咸豊十一年(1861)に同治帝が即位すると慈禧太后、兄の恭親王奕訢と協力して政敵の粛順を追い落とし(辛酉政変)、要職を歴任、親王にのぼった。同治十三年(1874)、同治帝が跡継ぎを残さずに死去すると、慈禧太后は自身の妹を母とする奕譞の第2子載湉を同治帝の子として即位させた(光緒帝)。奕譞は実子の即位と共に官職を退いたが、光緒六年(1880)のロシアとのイリ問題の処理に当たって再起用。清仏戦争の処理をめぐって恭親王が軍機大臣を罷免されるとかわって政務を執った。
本論文は全3章からなり、第一章、第二章で奕譞のひととなりと業績を紹介。著者は奕譞の人格と鉄道建設に代表される彼の政治手腕を高く評価し、彼はこれまで語られてきたような凡庸な守旧派などではなく、むしろ有能で開明的な人物であったと強調。近代化に対する「歴史的貢献」を高く評価している。
そして第三章では、彼への悪評の最大の原因である頤和園修復への海軍予算の流用問題について考証。
中国では海軍予算「数千万両」の流用が日清戦争の敗戦を招いたとして、慈禧太后と北洋水師(海軍)のトップでもあった奕譞は口を極めて罵られる。だが、著者それを真っ向から否定する。
著者は、まず長い間流用説の根拠とされてきた『翁同龢日記』中の史料について考証し、先行研究や実録、李鴻章の電報等の諸史料に基づき、その内容は実は北洋水師と全く関係がなかったことを明らかにしている。
次に海軍予算について検討し、予算規模はせいぜい年数百万両で、しかも実際に支給されたのは一割二割で、他へと流用する余裕など全くなかったことを論証。
そして、西太后と奕譞が各省の総督、巡撫から資金をかき集めたとき、世論の批判を避けるため「海軍巨款(海軍予算)」という名を借りたことが、海軍予算流用という誤解を生み、後々まで悪評を残すこととなったとしている。
この部分の論証は読んでいて非常に面白かった。
最後に、著者は日清戦争の敗戦は経費の問題ではなく、日本に対する備えを怠った国防戦略の誤りが原因であって、この問題と戦争の勝敗は全く関係がないとし、さらに海軍予算「数千万両」流用説のもととなったのは、海外に亡命した康有爲と梁啓超が政敵である西太后を攻撃するための宣伝であり、真実性に欠けると断じている。
そして、日清戦争の敗因への正しい認識と奕譞への公正な評価を呼びかけて、論文を結んでいる。
数ヶ月前に読んだ、加藤徹『西太后-大清帝国最後の光芒-』でも奕譞は凡庸な保守的人物として描かれていた。現在の中国でもこの見方が一般的であるようだ。
だが、おとといから昨日にかけてこの論文を読んで、物事にはいろいろな見方があるものだと感心した。人間にはいろいろな面があるし、物事には多種多様な見方がある。
これが歴史の面白さかもしれない。
“潘向明「論醇親王奕譞」” に対して2件のコメントがあります。
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学生時代のゼミで恩師が「慈嬉太后が水軍資金を頤和園再建に流用した…というのは誤りだ」と言うことを仰っていたモノの、ハテ、何がソースやら?と思っていたのですが、なるほどこういう事だったのかな?水軍再建を口実に頤和園再建費を徴収したって言うことならなるほど納得ですねぇ…。
>宣和堂 様
実は私はちょっと怪しいなあとは思いつつ、信じていました。
恥ずかしい!
あと、海軍予算流用説を最初に言い出したのが康有爲と梁啓超だったというのは初耳でした。
この論文の注の参考文献をあたってみると、すでに1970年代からこの説が出てきていたらしいですな。
昨日ネットで色々調べてみたところでは、中国の学界でも徐々にこの説が力を得てきているようで。
以下は余談。
中国では日清戦争の敗北が日本の侵略の始まりとして位置づけられているので、最近の反日傾向の高まりと共に「もし黄海海戦で勝っていれば」という話題がしばしば語られます。
海軍予算が流用されていなければ、西太后がもうすこしまともだったらというように、史実をすこしいじれば日本に大勝利できるという議論があっちこっちで聞かれます。
まるで下手な架空戦記なみの議論、日本でよくある「もしミッドウェー海戦で勝利していれば」にそっくりです。
この二つの話題に共通するのは「海軍予算の流用」と「運命の5分間」という「不運」や、西太后・李鴻章と山本五十六・南雲忠一といった個人の資質に全ての原因を帰していることです。
こういう捉え方は、しばしば史実の背後にある構造的な要因を見逃してしまいがちです。
この論文を読んでいると、著者がこういった軽薄な議論に対して強い危惧を抱いているように感じました