脱日論 その二――ベンチがアホやから野球がでけへん

前回「脱日論」を書いてから一週間が経った。

日本政府の無能無策ぶりは私の予想を軽々と超えてくる。
日本政府には「防疫」という概念がないのだろうか。繰り返しになるが、ウイルスは人間とは違って政権に「忖度」などしてくれないのに。

ダイヤモンド・プリンセス号の問題にせよ、他のコロナウイルス対応にせよ、日本の政治家・官僚、ひいては経済・社会の問題が集約的に表現されている。
希望的観測(主観)と現実との混同。一度決定された「任務」に固執して、自ら戦術・戦略の幅を狭め、再検討・方向転換をしない。冗長性とそれを担保する人員、ロジスティクスの不足。指揮者と現場・専門家との間の相互フィードバックができていないこと、などなど。
(このあたりは戦前戦中の陸海軍を彷彿とさせる)

外国メディアではダイヤモンド・プリンセス号の乗客を下船後即自由にしたことが批判されている。当然の批判である。
だが、これは日本の政治家・官僚の特性からすれば「必然」である。船内の隔離は(実態はどうあれ自分たちは「任務」を果たしたので)「うまくいっていた」のだから。

政治家はリーダーシップを取らず、官僚は一度決定された「任務」に固執して定まった方向にひたすら前進するのみ。
そして、今、「現実」によるしっぺ返しを食らいつつある。

これは一事が万事、現在の日本の政治・経済・社会のあらゆる問題に通じる話でもある。


にもかかわらず、政治も経済も社会も、そしてそれらを構成する国民も変わろうとしない。それどころか、有名人も無名人もネット民も、ウイルス騒動を気に食わない相手を攻撃するための機会としてこぞって利用している。
東日本大震災に学ぶどころかむしろ退化している。
もし東日本大震災と福島第一原発事故が2011年ではなく今発生したとしたら、より大きな被害が生じ、復興もはるかに遅れるだろう。

もうこの国は腐敗し、退歩し、前進する力を失っている。
そして、前回にも書いたが、国民は自省と向上心と進取の気風を失い、自分たちは貧しく、虐げられ、そのくせ自分自身は天国にいると勘違いし、夜郎自大な「日本スゴイ」を叫び、他人をあざ笑っている。
もはや、この国もこの国民も変わることはできない。


今の状況では、いくら自分が努力してもなんにもならん。
野球に例えるなら、選手がいくら努力しても、「ベンチがアホやから野球がでけへん」。


世捨て人になろう。
これまでは、国や社会のために役に立とうという気持ちが少しは残っていたが、堪忍袋の緒が完全に切れた。
打ちのめされ、気力と体力ももはや失われ、精神的に「半身不随」となった今、自分のエネルギーは全盛期の5、6割程度でしかない。

今後5年、長くても10年で、完全に世捨て人になると思う。できれば日本自体も捨てるつもり。
というか、現状だといずれ食い詰めて日本を出ざるを得なくなる可能性もあるが。


結局、戦前から何も変わっていない。いや、戦前に比べてさえ退歩しているかもしれない。


脱日論 その三――二転三転四分五裂