西安から上海まで(三) 車中・杭州・上海
今日は、車中・杭州・上海編をお送りします。13日夜、硬座に飛び乗って、上海までの二泊三日の道のりを旅しました。ちょうど中原を横断する形になります。堅い座席で、二泊はきつかったですね。
相席の学生は、こちらが日本人だと知ると、日本の戦国武将の話題を持ちかけてきました。彼は織田・豊臣・徳川や武田・上杉は言うに及ばず、毛利の家臣団の「両川」や立花道雪まで知ってました。なんでそんなに詳しいのか聞いてみると、ゲーム「信長の野望」が好きで、それがきっかけで日本の歴史に関心をもつようになったとか。
そのあと、ちょうど時期的に靖国や戦争の話題になったときも、戦前の軍人や政治家の名前を次々と挙げて、その政策や人となりについて理路整然と論じてました。
他の相席の人も、あくまで礼儀正しく、根拠を挙げて靖国を批判してきました。
「あんたらにとっては偉大な先輩だろうけど、我々にとっては侵略者なんですよ。それはわかって下さいね」。
この言葉が非常に印象に残っています。
私も、日本史や戦争に関する知識を総動員して、応戦しましたが、彼らの知識の豊富さに圧倒されそうでした。私は「戦争はこっちが悪かったが、そのことで全ての日本人が生まれながらの殺人鬼だとは思わないでくれ」と言いたかったのですが、うまく伝わったかどうか自信がありません。
あらためて、自分の不勉強さを思い知りました。
ただ、こういう議論ならむしろ大歓迎なんですよね。この国では、こういう冷静な議論を仕掛けてくる人は残念ながら少数派ですな。
そのあとは、ひまわりの種やリンゴを食べながら、まわりのみんなでサッカー談義。アジアカップの総括やジーコ采配の評価で大いに盛り上がりました。
おかげで床はほとんどゴミ箱をひっくりかえしたような状態(笑)
そして15日の早朝、やっと上海に。上海に着く前、車窓から見える水田やクリークを見て、江南にやってきたことを実感。
しかし、上海は遠かった。行けども行けども大平原。「中原に鹿を逐う」と言いますが、こんな広い場所で鹿を逐っていた英雄豪傑のみなさんはさぞかし大変だったろうなと思いました。
15日朝7時前に上海駅に到着、その後、あっちこっち歩き回って、杭州行きの長距離バスを探しあてました。
しかし、これがなかなか出発しない!
最初は「7時15分発」と言っていたのが、「7時40分発」、最終的に「8時半発」になりました。客のおばちゃんが運転手に文句言ったら、彼が一言「差不多」(そんなに変わらんやん)。私は心の中で「またかいな」とつぶやいていました。
中国では、この「差不多(cha4buduo1)」がいつでも、どこでも、あらゆる場面で聞けます。
さて、バスは結局8時15分ごろ出発(お客が一杯になったので)、途中事故渋滞に巻き込まれながら、約3時間で杭州着。安宿にチェックインしたあと、バスで西湖へ。その日は蘇堤や雷峰塔を観光。
翌16日は、遊覧船で西湖の色々な場所を見て回りました。どこを見渡しても絵のように美しく、観光客はみな写真を取りまくっていました。望遠レンズつきカメラを携帯している人も目立ちました。
まさに、蘇軾の詩にある
水光瀲艷として晴れて方(まさ)に好く山色空濛として雨も亦た奇なり
西湖を把(と)りて西子に比せんと欲すれば 淡粧濃抹総て相宣し
の通り。どこを取っても美しい湖でした。
西湖の遊覧を終えた後、あの岳飛の廟である岳王廟を見に行きました。秦檜(と彼の妻)の像が岳飛の塚の前でひざまずいているのを見て、中国人の「漢奸」へのすさまじい怨念を感じました。
実は私、女真・満洲族専攻のくせに岳飛の大ファンでして、学生時代には「おのれ秦檜許すまじ!」と言って、宋代史専攻の学生と論争になってたんですが…、この像を見て、さすがに「なにもそこまでしなくても」って思いました。
(ただ、うちの大学の満洲・モンゴル族の学生に聞いてみると、やっぱり岳飛に対しては複雑な思いを持っているようで…)
その後、西泠印社と浙江省博物館を見学。なんと両館とも無料開放!特に西泠印社は篆刻や書画の名品を数多く展示しており、自然の地形を巧みに利用した庭園も美しかったですね。書道の好きな方にぜひお勧めです。
翌17日、バスで再び上海へ。バンド周辺を見て回り、18日午前中、あの東方明珠に登りました(100元)。
上海の発展ぶりはすごいです。もう神戸・大阪と変わりません。ただ、浦東の建築のセンスは、なんとなく「ブレードランナー」のロサンゼルスを思い起こさせますね…。
しかし、長居しすぎて午後の飛行機に乗り遅れそうになったので、リニアに乗って空港へ。ただ、リニアは料金片道50元(往復80元)で、空港バスの2,3倍とかなり割高なので席はガラガラでした(実際、大赤字らしい)。
しかし結局間に合わず、夜の飛行機で瀋陽へ。
瀋陽空港では、西安から送った荷物を駅に受け取りにいくため、タクシーに乗りましたが、日本語なまりの「普通話」を話したので、少しぼられました。それを教訓に、駅から家に帰るとき、三輪タクシーと瀋陽方言で交渉すると途端に相場より安くなりました。
やっぱり、中国では常にぼられることを警戒しないとだめですな。
(この部分は游戏人生 様の指摘を受け、書き直しました。どうもすみません)
“西安から上海まで(三) 車中・杭州・上海” に対して5件のコメントがあります。
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关于靖国神社日本是错误的 这件事实已经无须争论。你只是作为日本人在为日本辩护罢了
如果你作为第3者 既不是中国人也不是日本人的第3者的话 你会怎么去看待日本
一个没有任何正当理由发起战争 屠杀了人 然后战后最近还试图去修改教科书 扭曲犯下罪行
接着作为一国之首的小泉还自称作为一名国名参拜神社 可你要知道 在外界看来小泉你就是日本首相 你就是一国之首 你作的事象征全体日本人的意愿
作为第三者 你认为你会怎么想呢
进一步作为受害者 你还会怎么想!
你说 自分の不勉強さを思い知りました。
但是这并不是你的学习不足 而是从根本上你们就是错的 所以论辩时不会胜的
希望你明白这一点。。。。。
你有点误解,我说明也有点不够。在这点,我应该谢罪!
私の文章の書き方が悪かったようですね。この点は謝ります。
我没说“赞成”,一点也不美化那场战争。
我“应战”的意思是“罪是罪,但请不要埋汰整个日本人。不要跟当年的日本同样看待”。
私は右翼の戦争美化の意見に「賛成する」とは言っていませんし、少しもあの戦争を美化していません。私が「応戦」したというのは、「罪は罪だが、日本人そのものを罵るのはやめてくれ。あのときの日本と同一視しないでくれ」ということだったのです。
还有,不要用“你们”这个词来总括!
日本的每个人都有不一样的看法,日本有1亿2千万的人,难道你眼里日本人都是右翼分子吗?
我觉得你是个很善良勤奋谦虚的日本人!
有很多事情其实不需要争辩,
中国人对于那场战争实在受到的伤害太深
所以其实很多中国人对日本人都抱有非常"偏激"的态度
我想你在中国(尤其是东北)每天都有机会"感同身受"!
所以我建议你尽量避开这个话题和中国人交谈交往(尤其是不熟悉的人)
毕竟过去这么多年了,把历史的责任或者一些狭隘的政客的愚昧和短视全部加载到像你这样善良诚恳的年轻人身上是不合理的!!!
希望你在中国的每一天愉快!!
>Raotao’s Jazz Cafe 阁下
好久不见了。
今天我干脆写心里话吧。
你说得对,我每天不得不感觉到自己是“小日本鬼子”。
来中国的时候,我很高兴,发誓对两国友好贡献,但我的心马上就死了。
但我把这个愤怒做成自己的能量,每天努力工作,勤奋学习。
比如,如果我是美国人或者韩国人的话,中国人对我更友好一点的话,汉语水平却比现在低得多吧。
异国他乡的生活就是这样的。
我已经习惯了。
请不要担心!
谢谢你的建议,以后在这里尽量避开战争话题。
这个话题说到这里吧。