中野美代子『乾隆帝――その政治の図像学』

中野美代子『乾隆帝――その政治の図像学』 文春新書、2007年4月

 最近実家から送ってもらった本。宣和堂様の書評を読んで、無性に読みたくなりまして。

 乾隆帝の残した建築、絵画、詩文、はては「コスプレ」などから、乾隆帝の「イメージ戦略」を読み取ろうとするユニークな本(ちょっと深読みしすぎでは?といった内容もありますけど・・・・・・)
 
 自分は大学院で清朝史、しかも主要な専攻分野が康熙、雍正、乾隆三代の八旗だったので、こういう本はまさに「大当たり!」。読み始めると止まらなくなり二日間で一気に読破してしまった。
 
 以下、興味を持った部分を箇条書きにしてみた。
第一章「皇胤と母胎の物語」
・この章題に「たねとはたけのものがたり」とルビを振るのは面白い。
主に乾隆帝と諸皇子たち、后妃、そして皇位継承についての内容。
 
・p32の「清朝諸皇子図(順治帝以後)」、p48「乾隆帝后妃表」、p75「乾隆帝諸皇子表」。
学術書でない一般書で、ここまで詳細な表は見たことがない。清朝史好きの自分としてはうれしい限り。 
 
・秘密立太子制度のルーツはペルシャ
『旧唐書』巻一百九十八 西戎伝 波斯(ペルシャ)国の条に、「その国の王は、即位したらすぐさま、王統を継ぐ才のある子をひそかに選び、その名を記し厳封する。王の死後、大臣が王子たちとともに封をひらき、そこに記してある王子を王としていただく」とあり、雍正帝はこれを参考とした。
 ここのところは初耳。なかなか面白い説だと思う。
 
・「乾隆帝の后妃画巻」
アメリカ、クリーブランド美術館蔵の『心写治平』と題された、乾隆帝の十二人の后妃たちの肖像画について。「乾隆元年」と題されてはいるが、実はその時まだ生まれてなかったり、幼児だった后妃も描かれている。実際は数十年にわたり、削除したり描き足したりしている。
・香妃について
現在に残る香妃の肖像画を列挙。それぞれ顔が全然ちがう。皇帝、后妃の「肖像画」は簾の陰からわずかに見える影や皇帝の指示に基づき描かれた虚構のもので、必ずしも実像を描き表してはいない。
香妃が乾隆帝を寄せ付けなかったというのは俗説。実際は南巡にもたびたび随行するなど寵愛をうけていた。
 
・皇嗣決定
かねてから乾隆六十年(1795)で退位するつもりだった乾隆帝は、退位時に三十六歳という適齢期で、かつ乾隆帝が好きな数字(後述)である二十五年(1760)生まれの永琰(後の嘉慶帝)を太子とした(ほんまかいな!)
 
・「二十五」へのこだわり
『易経』の天数は二十五。
清初以来の宝璽を整理、「二十五宝」として交泰伝に安置。清は二十五代、500年続くことを祈願。
 それは東周が二十五代続いた故事にちなんでいた。

第二章「仮装する皇帝」
・雍正帝や乾隆帝が漢族のすがたで描かれている。それもいろいろある。
 
・雍正帝が西洋風の格好をして、さすまた持って虎狩りをしている絵(『雍正帝行楽図』)
 
 これは必見!
 
・著者いわく、漢族の格好をして、漢族の空間に自分を描きこむ絵を通じて、漢族の時空間の領有を宣言している。
 
 いろいろな肖像画を見ているだけで面白い。
自分としては、単なる「コスプレ」とちゃうの? という気もしますけどね。
 
第三章「庭園と夷狄の物語」
・熱河(承徳)の避暑山荘と外八廟について図や写真を交え詳述。
 
・「避暑山荘の政治的トポス」
 ポタラ宮そっくりの「普陀宗乗之廟」。モンゴル、チベットへの懐柔、取り込み。 

 

 ここのところは、特に目新しい点はないが、おおむね同感。
 

 

・熱河のポタラ宮には軍事的拠点としての機能があったのでは?
 面白い見解だと思う。 
 
・「造園皇帝」。
 避暑山荘や円明園など、生涯にわたり庭園の造営にいれあげる。
 
・円明園と西洋楼
 多作で知られる乾隆帝が西洋楼に関する詩を殆ど残していない。
 これは意外だった。
 
・外来の西洋人は西洋楼に招き入れなかった
 乾隆帝にとって、この場所は西洋という夷狄を封じ込めた場所。
 
 面白いが、やや深読みしすぎという気がする。
 
第四章「楽園の中の皇帝」
・「ジョホール」は「熱河」。元代の上都「シャンドゥ」はヨーロッパ人に誤記され「ザナドゥ」に。
 「ジョホール」と「ザナドゥ」はヨーロッパ人の憧れの楽園に。場所的にも近く、混同されることもあったらしい。
 
乾隆帝の詩は多作ではあるが文学的価値には乏しい。
 だが、乾隆帝自身による割注がつけられ、そこには『清高宗実録』や当時の公文書に見られない記述が多々見られ、史料的価値が高い(p60、218)。
 
・戦争の様子を銅版画に
「はじめに詩ありき」。乾隆帝の詩が付されている。実景や事実とのズレはある程度度外視。
 
・円明園の線法(透視遠近法)
 ここのところは正直ちんぷんかんぷん。
 
 
 著者は文学、図像学の角度から乾隆帝を見つめており、ユニークな見解が多いが、深読みしすぎでは?という箇所も多々あった。良くも悪くも歴史専門屋には書けない文章。
 
 ただこういった「深読み」ができるということ自体、乾隆という時代の奥深さと多様性を表しているのだろう。
 例えるなら、ものすごく広い庭園で、いくら遊んでも飽きることがない。まさに避暑山荘や円明園といった感じ。
 
 清朝史ファンには非常に楽しい本だ。