満文論語 学而第一(中)
fudzi hendume,deote juse dosici,hiyoošun.tucici,deocin.ginggulembime,akdun oso.geren be gemu gosimbime,gosingga de kamjile.yabun fucuhe hūsun de,šu be taci.
先生がいうには、「弟子が[家に]入れば孝順、[家から]出れば悌。謹んで信頼があるようにする。衆をみな慈しみ、仁に近づき、行いに余力があるとき、学問を学べ。
(漢文)
子曰弟子入則孝出則悌、謹而信。汎愛衆而親仁行有餘力則以學文。
子の曰わく、弟子(ていし)、入りては則ち孝、出でては則ち弟、謹みて信あり、汎(ひろ)く衆を愛して仁に親しみ、行いて余力あれば則ち以て文を学べ。
先生がいわれた、「若者よ。家庭では孝行、外では悌順、慎んで誠実にしたうえ、だれでも広く愛して仁の人に親しめ。そのようにしてなお余裕があれば、そこで書物を学ぶことだ」
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(満文)
dzi hiya hendume,sain be saišara de,boco de amuran be guribure,ama eme be uilere de,hūsun be akūmbume mutere,ejen be uilere de, beyebe waliayatai obume mutere,gucu gargan i baru guculere de, gisun akdun ojoro ohode,udu tacihakū seme,bi urunakū tacihabi sembi.
子夏がいうには、「賢者を讃えることに、色好みを置き換えて、父母に仕えるときに、力の限りを尽くすことができ、主人に仕えるときに、身を捨てることができ、友人とつきあうときに、言葉に信頼があるようにできたときには、[彼が]たとえ『まだ学んではいない』といっても、私は必ず『もう学んでいる』という」
※dzi hiya:子夏 saišambi:推奨する、讃える boco de amuran:色を好む uilembi:仕える、世話をする。hūsun be akūmbumbi:力の限りを尽くす ……me mutembi(=……ci mutembi):~することができる (漢語の「能、会」にあたる。能力的に「できる」) waliayatai:(副詞)捨て身で、命がけで ojoro:~となす、~となる、~をなす、~することができる udu……seme、たとえ~であっても、~といえども
(漢文)
子夏曰賢賢易色、父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信、雖曰未學吾必謂之學矣。
子夏が曰わく、賢を賢として色に易(か)え、父母に事(つか)えて能(よ)く其の力を竭(つく)し、君に事えて能くその身を致(いた)し、朋友と交わるに言いて信あらば、未だ学ばずと曰うと雖ども、吾は必ずこれを学びたりと謂わん。
子夏がいった、「すぐれた人をすぐれた人として[それを慕うことは]美人を好むようにし、父母に仕えてはよくその力をつくし、君に仕えてはよくその身をささげ、友達との交際ではことばに誠実さがある、[そうした人物なら、だれかが]まだ学問はしていないといったところで、わたしはきっと学問をしたと評価するだろう」
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(満文)
fudzi hendume,ambasa saisa ujen akū oci, horon akū,taciha seme,beki akū,tondo akdun be da obu.beye de isirakūngge de ume guculere.endebuhe be halara de ume sengguwendere.
先生がいうには、「君子は重々しくないと、威厳がない、学んだなら、[頭が]固くない。忠信を根本とせよ。自分に及ばない者と友達づきあいをするな。間違えたのを改めるのにもたもたしてはいけないだろう」。
※ ujen:(重量が)重い、(雰囲気が)重々しい horon:威厳、威光、威力。beki:固い。……isirakūngge:~に及ばない、達しない endebumbi:(故意でなく)誤る、間違える halambi:改める sengguwembi:(心に)恐れる、もたもたして進まない、怠る
(漢文)
子曰君子不重則不威、學則不固、主忠信。無友不如已者。過則勿憚改。
子の曰わく、君子、重からざれば則ち威あらず、学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如(し)からざる者を友とすることなかれ。過てば則ち改むるに憚ること勿(な)かれ
先生がいわれた、「君子はおもおもしくなければ威厳がない。学問をすれば頑固でなくなる。[まごころの徳である]忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友達にするな。あやまちがあればぐずぐずせずに改めよ」。
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(満文)
t’sengdzi hendume,duben be olhošaroro, goro be amcara oci,irgen i erdemu i dahūmbidere.
曾子がいうには、「終わりを慎しみ、遠きことを追えば、民の徳は復興するだろう」。
※duben:終わり olhošarombi:慎む、恐れる、慎重になる amcambi:(更に追求する、追う、追いかける。erdemu:才、徳
(漢文)
曾子曰慎終追遠、民德歸厚矣。
曾子の曰わく、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳、厚きに帰す。
曾子がいわれた、「[上にたつものが]親を手厚く葬り祖先をお祭りしていけば、人民の徳も[それに感化されて]厚くなるであろう」。
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(満文)
dzi kin,dzi gung de funjime,fudzi,yaya gurun de isiha de,urunakū terei dasan be donjirengge baire de bio.eici alara de bio.dzi gung hendume,fudzi,nemgiyen,nesugen,gungnecuke,boljonggo, anahūjan de bahabi.fudzi i baimbi serengge,niyalma baire ci encu akū semeo.
子禽が子貢に問うには、「先生は、どの国に行った時も、必ずそこの政治を聞くことは[こちらから]求めたものか、それとも[むこうから]申し立てたものか」。子貢がいうには「先生は温和、温良、謹み深く、慎ましく、謙譲である。先生の「求める」ということは、人の「求める」ことと違いがないというのか[いや、違う]」。
※dzi kin:子禽 dzi gung:子貢nemgiyen:温和、温良。 nesugen:温和、温良。gungnecuke:謹み深い。boljonggo:つつましい、約束を守る。anahūjan:謙譲。
(漢文)
子禽問於子貢曰、夫子至於是邦也、必聞其政求之與抑與之與。子貢曰夫子溫良恭儉讓以得之、夫子之求之也其諸異乎人之求之與。
子禽、子貢に問いて曰わく、夫子の是(こ)の邦に至るや、必らず其の政を聞く。これを求めたるか、抑々(そもそも)これを与えたるか。子貢が曰わく、夫子は温良恭倹譲、以てこれを得たり。夫子のこれを求むるや、其れ諸(こ)れ人のこれを求むるに異なるか。
子禽が子貢にたずねていった、「うちの先生(孔子)はどこの国にいかれても、きっとそこの政治の相談を受けられる。それをお求めになったのでしょうか、それとも[向こうから]持ちかけられたのでしょうか。」子貢は答えた、「うちの先生は、温(おだやか)で良(すなお)で恭々(うやうや)しくて倹(つつま)しくて譲(へりくだり)であられるから、それでそういうことに[どこの国でも政治の相談をうけられることに]なるのだ。先生の求めかたといえば、そう、他人のもとめかたとは違うらしいね[無理をしてことさらに求めるのとは違う]」 。
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(満文)
fudzi hendume,ama bisire de,terei mujin be tuwamibi,ama akū oho de,teresi yabun be tuwambi.ilan aniya otolo,ama i doro be halarakū oci hiyoošungga seci ombidere.
先生がいうには、「父がいるときは、その志を見る。父が亡くなったときは、その行いを見る。三年の間、父の道を改めなければ孝行者といえるだろう」。
※bisire de 在りし時。mujin:志、志向 akū oho:(人が)亡くなった ……otolo:~の間、~のうちに。hiyoošungga:(漢)孝順な、孝行者 ……ci ombi:~できる(漢語の「可」にあたる。法律ないし道徳上、客観的条件が満たされて「できる」)
(漢文)
子曰父在觀其志,父沒觀其行、三年無改於父之道可謂孝矣。
子の曰わく、父在(いま)せば其の志しを観、父没すれば其の行いを観る。三年、父の道を改むること無きを、孝と謂うべし。
先生がいわれた、「[人物の評価には]父のあるうちにはその人の志を観察し、父の死後ではその人の行為を観察する。[死んでから]三年の間、父のやり方を改めないのは、孝行だといえる」。