読書ノート――E.H.カー著、近藤和彦訳『歴史とは何か 新版』その1 「はしがき」・「第二版への序文」

E.H.カー著、近藤和彦訳『歴史とは何か 新版』岩波書店、2022年

目次(岩波書店本書ウェブページより https://www.iwanami.co.jp/book/b605144.html

はじめに(R.W.デイヴィス)

第二版への序文

第一講 歴史家とその事実

第二講 社会と個人

第三講 歴史・科学・倫理

第四講 歴史における因果連関

第五講 進歩としての歴史

第六講 地平の広がり

E.H.カー文書より――第二版のための草稿(R.W.デイヴィス)

自叙伝

補註

訳者解説

略年譜

索引

 

今、この狭い自宅から外を見渡せば、国内外共に不安定で不透明な状況が続いている。

私自身、過去についても不勉強で、未来についても見通せない人間である。

こういうときこそ、歴史と歴史学についてじっくり本格的に考えてみたい。

本書の旧版(E.H.カー著、清水幾太郎訳『歴史とは何か』岩波新書、1962年)は、大学学部3回生時代に読み始めた。だが、1~2回生の頃に遊びまくっており、3回生から遅まきながら勉強を始めた不真面目な私には本書を消化吸収できるだけの素養がなく、読んでいるうちにわけがわからなくなり、飛ばし読み、斜め読みをした後、半分も読まずに放り出した。あの頃の自分は不真面目な学生で、歴史と歴史学について乏しい知識しかなかった。昨年あらためて旧版を読了し、ようやく内容を理解できた。本書は「歴史学の入門書」とされているが、歴史と歴史学についてある程度勉強し、知識と認識ができてからから読んだ方が効果的だと思う。

今回から、本書『歴史とは何か 新版』を精読していきたい。これはいわば自分自身に対するゼミ・講義・読書会のようなものである。

以下、概ね1~2週間に一講のペースで要点、感想、メモをつらつらと記していきたいと思う。以下、私の独断と偏見に基づく勝手な断章取義、思いつきの感想、たわいのないメモを書き綴っていく。

 

 

「凡例」によると、本書の底本は、E.H.Carr,What is History?,Second edition,edited by R.W.Davies(Penguin Books,1987)(以下『1987年版』という)で、本書は、これの全訳にカーの自叙伝および略年譜を加えたものとのこと。本文中の()は原注で、[]は訳者により補われたもの

 

「はしがき」は、『1987年版』の編者R.W.デイヴィスによるもので、主に、E.H.カーの死後に出版された『1987年版』の構成について述べる。

 

「第二版への序文」、カーが生前に出版を準備していた『歴史とは何か』第二版への序文である。1981~1982年頃に書かれたものらしい。

『歴史とは何か』の講演草稿が執筆された1960年の楽天的なムード、1961年の講演の終わりにカーが表明した「楽天観オプティミズムと未来への確信」(p.x)。だが「その後の二〇年間に、こうした希望と呑気は挫かれた。」(p.x)という。冷戦の再発と核戦争による人類絶滅の脅威、経済危機、失業、暴力とテロリズム、「中東の石油産出諸国の反乱」(オイルショックを指すか)、「第三世界」の世界情勢における受動的な要因から能動的な不安定要因への変貌を取り上げ、カーは言う「かつて[前近代に]広く信じられたこの世の終わりという予言がこんなにも当てはまるかと見えた時代は、何世紀もなかった。」(p.x)

だが、同時にカーはこうも言う。

しかしながら、こうしたときにも常識コモンセンスが、二つほど重要な留保へと注意をうながしている。第一に、未来に希望はないという判断は、反論の余地のない事実にもとづくと称してはいるが、じつは抽象理論の構成概念なのである。大多数の人々は未来に希望はないなどとは全然信じていないし、そのことは人々の行動から明らかである。(中略)こうしたことを見ると、人類のまもない絶滅を信じているのは、現状に不満な一群の知識人たちで、流行の終末論をとなえている方々だけのことかと結論したくなる。

留保の第二は、この世の災難という予言の発生した源泉の地理にかかわる。こうした予言はほとんど西ヨーロッパおよびその海外進出先で発していて、わたしの見るところ、それ以外から発していないようである。(中略)こうした国々はすべて一九世紀の大拡張の時代の能動的なアクターであった。しかし、こうした気運が世界の他の地域でも勢いをもつだろうと懸念する理由は思いつかない。

一方で越えがたい情報の障壁が築かれ、他方で冷戦のプロパガンダが絶えることなく流通しているので、ソ連の国内情況がどうなっているか、賢明な評価は難しい。とはいえ、膨大な住民の大多数がなにか日々の不平不満はあるとしても、二五年前、五〇年前、いや一〇〇年前と比べて事情がはるかに良くなっているのを自覚しているに違いない国で、およそ未来についての絶望が広く蔓延しているとは考えられない。アジアでは日本と中国が、それぞれ方向は異なるが前向きの姿勢でいる。中東およびアフリカでは、現在は混乱状態にある地域においても、新興の国民がみずからの信じる未来に向けて奮闘している。よく見とおせない未来かも知れないが。

したがって、わたしの結論はこうである。今日の懐疑と絶望の波、すなわち前方に破滅と衰退しか見ないで、進歩を信じるのも、人類のさらなる前進を期待するのも不条理だとして片付けるような懐疑と絶望の波は、エリート主義の一つの形である。――この危機によって安全と特権がじつに著しく浸食されたエリート社会集団の産物、かつての文句なしの世界覇権が砕け散ってしまったエリート国の産物なのである。この[懐疑と絶望の]運動の旗ふり役は知識人であり、支配的に亜社会集団の思想の御用達商人である(「一社会の思想とは、その支配階級の思想である」という)。たとえ当該の知識人の一部が別の社会集団の出身だったとしても関係ない。というのは知識人になることによって自動的に知的エリートに編入されるからである。知識人とは、定義により、エリート集団をなすものである。

しかしながら、今この脈絡でもっと重要なのは、あらゆる社会集団はたとえどれほど凝集性であっても(歴史家はしばしば理由があって社会集団を凝集性のものとみなすのだが)、一定数の変わり者や異論派ディシデントを産み出してしまうという事実である。こうしたことは、とりわけ知識人の場合に起こりやすい。知識人のあいだではつねづね社会の大前提はともに受容したうえで議論が交わされてきたが、わたしが言いたいのはそうしたことではなく、むしろこの社会の大前提にたいする挑戦である。西洋の民主社会ではこうした挑戦は、一握りの異論派に限られているあいだは寛大にあつかわれ、異論を表明しても読者や聴衆は見つかる。シニカルな見方をするなら、異論派が許容されるのは、数も少なく影響力も乏しく危険でないからだといえよう。

これまで四〇年以上にわたって、わたしは「知識人」というラベルを貼られてきた。近年はわたしも、ますます自身を異論派知識人とみなし、また人からもそう見られている。その説明は簡単である。わたしはいえば、あの偉大なヴィクトリア時代の信念と楽天観の最盛期ではないが、その残光のなかで育ち、今でも書き続けているごく少数の知識人の一人に違いないのである。今日においてもわたしは、世界が永久で後戻りできない衰退の途上にある、といった具合には考えられない。以下のページでわたしは、西洋の知識人たちの主流の動向から、とりわけ今日のイギリスにおける主流の動向から距離を保ち、彼らがどのように、またなぜ迷走しているかを明らかにしたい。そして、楽天的とまでは行かなくとも、せいぜい正気でバランスのとれた未来への展望を打ち出したい。

E.H.カー

[一九八二年以前]

(p.x-xv)

カーは悲観的な多くの知識人たちからは距離を置き、「楽天的とまでは行かなくとも、せいぜい正気でバランスのとれた未来への展望を打ち出したい」としている。「常識コモンセンス」を保ちながら、極力希望捨てない姿勢を感じる。強い知識人の姿というべきだろうか。

「第二版への序文」を読むにつけ、冷戦後期の1980年代初頭という状況を反映した内容だと感じさせられる。自分もこの時代に少年時代を送ったので、こうした悲観的な空気は身近に感じてきた。

ソヴィエト史の研究者だったカーは冷戦の終結、ソ連の崩壊を見ることなくこの世を去った。

冷戦の終結による希望に満ちた時代は終わり、冷戦時代とは違う形での混乱が生じている。戦争、経済危機、権威主義、失業、暴力とテロリズムが吹き荒れている。さらには歴史修正主義とフェイクニュースが横行し、新型コロナウイルスが世界的に流行している。さらにはロシアによるウクライナ侵攻、中国による強硬な海洋進出など国際秩序を動揺させる動きが活発化し、米中対立はいまや「新冷戦」といわれるまでに深刻化している。そして日本はその中で右往左往するばかり。

カーがこれを見ればどのような感想を漏らすだろうか。

さて、自分はネット世界の異論派であり、昭和後期から平成初期の「信念と楽天観の最盛期」とその残光のなかで育ち、今でも生き残っている氷河期世代の一人である。本書を読み、歴史と歴史学について深く考え、「楽天的とまでは行かなくとも、せいぜい正気でバランスのとれた未来への展望」を見いだし、日々の生活を送っていきたいと思った。(※)

長くなったので、次回から少しずつ本文を精読していきたい。

 

※無論、昭和後期から平成初期にも公害、さまざまな差別、体罰の横行などなど悪い所はたくさんあった。自分としては「懐かしいが戻りたくはない」というところだろうか。