楊双子(著)、三浦裕子(訳)『台湾漫遊鉄道のふたり』
楊双子(著)、三浦裕子(訳)『台湾漫遊鉄道のふたり』(中央公論新社、2023年)
日本人作家千鶴子と台湾人通訳千鶴の台湾食べ歩き漫遊記小説。
ふたりの友情と「百合」を細やかに描く。
また、作品に登場する食べ物とその描写のまたおいしそうなこと!
だが同時に植民地での支配者と被支配者という超えがたい壁も描かれる。
千鶴子は善意と良心の人であり、千鶴によくしてあげようとするが、千鶴にとってそれは善意の押しつけに過ぎない。
そして千鶴子は結局自分の見たい物だけを見ている。
千鶴子は旅の終わりでようやくそれに気づく。
自分も中国・台湾に関わる仕事をしているが、自分の行いも作中のとある登場人物の言う「独りよがりな善意」になっていないか深く考えさせられた。
また、別の角度から見れば、作中の千鶴子の姿勢は、一部のなまじ外国に「詳しい」日本人、外国を深く理解しようする「善意」の日本人が陥りがちな罠なのではないかと思う。
外国人、異なる集団、異文化に詳しくありたい、もっと理解したいと思う。その心構え自体は決して間違いとはいえない。
だが、理解したいという感情ばかりが先走り、相手の心情や事情をおもんばかることなく突っ走り、結局は自分の見たい物だけを見てしまったり、「独りよがりな善意」で相手に接してしまいがち。
甚だしくは、相手が自分の思う通りの存在ではないことに一方的に「失望」したりする。千鶴子はそうなる前に千鶴との友情を回復させることができたが。
そして私にもそういうところがまったくないとは言えない。
「独りよがりな善意」で相手を振り回したり、自分の見たい物だけを見る。そんなことがなかっただろうか。「なかった」と言い切る自信はない。
外国語に関わる仕事をしている自分としては深く反省し、自戒したい。
こうした日本人の一面を台湾人作家である楊双子氏が如実に描き出しているところにその力量を感じ、また同時に日本人の一人としていろいろ考えさせられた。
今回は本当にいい本を読ませていただいたと思う。
(本記事は「読書メーター」に投稿し、さらに「2024年1月31日、2月1日 良書との出会い」の中に書いたものですが、書評記事として独立させ、加筆訂正しました)