瀋陽・遼西旅行記 その9 遼西回廊フォトギャラリー(2012.8.27~8.28)

2012年夏にまんじゅ先生 @manju1635 とご一緒に遼西回廊の錦州市、北鎮市、凌海市を訪れたときの写真です。
これらの写真は長年にわたりパソコン内に眠っていたものですが、最近、清朝(アイシン国)と明朝との戦争に関する史料を読むことが多く、旅行中の風景などを思い出しましたので、ここに写真を載せることにしました。

当時のことを簡単に振り返ってみます。
(以下、文章が「だ、である」調になります)
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前日8月26日夕方に錦州市中心部に到着し、ホテルにチェックイン。
その日の夜、まんじゅ先生と合流。
27日は、北鎮市の北鎮廟、李成梁石坊・北鎮市街、広寧城址を踏査。終日まんじゅ先生と行動を共に。
北鎮(広寧)の市街地はいかにも郊外の小都市という風情だったが、それは近代に鉄道ルートから外れたためで、明清時代は遼西回廊東端の要衝、政治と軍事の中心地だった。
北鎮廟は石碑が面白く、ついつい長居。
李成梁石坊は実際に見ると感慨深いものがあった。やはり明末遼東の重要人物。清朝史に興味を持ち始めたその時からのいわば「なじみ」の人物だったので。
広寧城址は当時の城壁遺構が地上にも残存しており、なかなか興味深かった。

28日は、まんじゅ先生とまず大凌河(凌海市)へ。
清(アイシン国)と明の大きな戦いである大凌河城の戦いが行われた古戦場。自分は清代の火器の歴史を調べているので、その意味でも以前から興味があった場所。大凌河の戦いは清が火器を本格的に運用し始めた端緒で、それ以降、清は火器の運用に自信を深め、その後遼西回廊での戦いを有利に進めることになる。
大凌河のたもとに建つ「大凌河鎮」という石碑を見た時は感慨無量。
それから大凌河城の城壁の西北角であった凌海駅の駅前広場へ。
当時の痕跡は何も残っていないが、現地の様子を知ることができたのは収穫だった。

錦州市内に戻り、錦州市博物館を見学。錦州と遼西回廊の歴史について参考になる内容が多かった。
明清代以降の展示が充実しており、出土した火器、旗人の尹継善の墓から出土した文物などなどを見学。

博物館を見学後、二人で昼食を取り、その後解散。
先生は列車で北京へ、私は長距離バスで瀋陽へと戻った。
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遼西・錦州旅行記はこれにて完。8年ぶりの完結となりました。
まんじゅ先生とご一緒に行動でき、いろんなことを教わりました。
本当にありがとうございました。
以下、当時の写真をご覧ください。

北鎮廟(2012.8.27撮影)

李成梁石坊・北鎮市街(2012.8.27撮影)

広寧城址(2012.8.27撮影)

大凌河古戦場(凌海市)(2012.8.28撮影)