熊倉潤『新疆ウイグル自治区――中国共産党支配の70年』

熊倉潤『新疆ウイグル自治区――中国共産党支配の70年』中公新書 2700、中央公論新社、2022年

新疆ウイグル自治区の歴史について、筆致を抑えて冷静に記述している。
中国共産党の新疆政策が中国国内外の情勢により常に揺れ動いてきたことがわかる。当初の王震による強硬路線と習仲勲(習近平の父)による穏健路線、反右派闘争、大躍進、文化大革命、改革開放、ソ連崩壊、911事件、2009年のウルムチ騒乱、習近平政権による国内への締め付けなど、その時々の情勢により、新疆政策は常に揺れ動いてきた。なお、当初は現地少数民族幹部(現地少数民族エリート)による連邦制的枠組の模索も行われていたが挫折を余儀なくされている。

本書では、新疆では当初からほぼ一貫して漢人幹部が新疆の党のトップを務め、新疆統治の実権を握っていたこと、現地少数民族幹部はセイフディンが文革後期に新疆の党・軍・政府のトップに立ったことを除き、一貫して漢人幹部より不利な立場に置かれていたことが述べられている。また、中国共産党は、朝鮮戦争中でさえ解放軍の大部分の駐留を継続させ、後には新疆生産建設兵団を設立し、常に大兵力を新疆に貼り付けていた。

さらに、鄧小平時代に入り、王震が新疆政策に復帰し、文革中に廃止されていた新疆生産建設兵団が復活し、漢人幹部による支配も文革後・改革開放時代にむしろ再編・強化されていることが指摘されている。数多くの政治闘争をくぐり抜け、文革中にも人数が増加していたセイフディンら現地少数民族幹部は文革の終結以後に逆に力を失っていった。文革の終結が現地少数民族にとってかならずしも「ハッピーエンド」とはならなかったあたりに、中国共産党の統治の奥深さがあるのかもしれない。

自分の感想としてはこのあたりがソ連崩壊以後も新疆統治が動揺しなかった理由なのかもしれないと感じた。

そして、数々の抵抗事件と抑圧、民族問題に経済格差問題も加わり複雑化する問題、2009年以降の統制強化と大規模な収容、「善意」に基づくが少数民族の自由意志を無視した政策など、現在の事態に至る経緯につき大いに蒙を啓かれた。

終章「新疆政策はジェノサイドなのか」では、「ジェノサイド」の概念に基づき、中国の新疆政策について考察している。著者は、現下の新疆政策は「集団の破壊」を目的とした「ジェノサイド」ないしは「文化的ジェノサイド」というよりは「民族の改造」、すなわちウイグル族(ウイグル人)を「中華民族」へと改造することであると指摘している。

死を免れたからといって、問題がないということにはならない。反発したり抗議したりすることは許されない。ましてや独立を企んだりしてはならない。ただひたすら中華民族の一員として、祖国中国を賛美し、漢人と団結していかなければならない。二等市民的扱いを受けても、中国共産党の政策にただただ感謝して生きていかなければならない。そして政権側は、選別された現地ムスリムには社会的上昇の道を与える。そこに飛びつく人も出てくる。抗えない同化の流れに押し流されるように、人々は生きていくほかない。「ジェノサイド」という言葉では表しきれない、生の苦しみがそこにあるのではなかろうか。(p232-233)

 

本書を読んでの全体的な感想は、新疆ウイグル自治区はまさに中国が抱える数々の問題の縮図だということである。
辺境にこそその国の本質が現れるというところか。
人権問題、格差問題、貧困脱却すればよし(飯を食わせればよし)とし自由意志を尊重しないこと、民族問題、そして国際的批判への鈍感さ、もしくは批判に対する見当外れの反発。まさに中国のすべてがそこにあるといった印象。いろいろな問題が絡まり合って複雑化し、出口が見えない。

(本書評は「読書メーター」に掲載した内容に修正・加筆を行ったものです)