【感想】『ノイエ銀英伝』第四十話 迷宮

冒頭、ランスベルク伯、脳天気に黒ビールを飲んでおる。
フェザーンのに比べて芳醇だとかなんとか言っている。
早くも呆れ気味のシュナイダー。
騎士道的というか、英雄的ロマンチシズムによって自己陶酔して、目つきがだんだんおかしくなっていくランスベルク伯とそれを険しい表情で見つめるシューマッハ大佐がなんとも言えない。
ビールでグデングデンに泥酔して眠るランスベルク伯を見て、シューマッハ大佐がビール瓶を手に取ったところ、その黒ビールは実はフェザーン資本だったというオチもすごい。フェザーン資本の帝国経済への浸透ぶりがわかる。

シューマッハ大佐が帝都の市街で軍人が民衆に丁寧に接しているところ、図書館内で読書にふける民衆たちの様子、笑顔の図書館員の様子を見て、ラインハルトの内政改革がうまくいっていること、自分たちがしようとしていることが時代の流れに逆らうものであることを自覚し、それが故にボルテックに対し陽動作戦への協力、実行後の保護の要求といったタフな交渉を行う。
このあたりのストーリーも巧みだった。

一方でフェザーンとランスベルク伯、シューマッハ大佐による皇帝誘拐計画を見逃すことに決めたラインハルトだが、そのあとでオーベルシュタインに指摘されて、警備責任者の責任を問い、その生命を奪わなければならないことに気づくラインハルトもラインハルトだなあと思った。そりゃあそうでしょとしか言いようがない。
陰謀には必ずそれに伴う「結果」というものがあるわけで。

そして皇帝誘拐の実行へ。
ランスベルク伯とシューマッハ大佐は秘密の抜け道でノイエサンスーシに侵入し、皇帝の寝室へ。
そこで見たものは、ベッドに三角座りして眠れない夜を過ごす一人の子供。
彼らを見た皇帝は、二人の侵入者の言葉も上の空で、熊のぬいぐるみの耳をちぎり、ぬいぐるみを投げつけ、部屋から出て行こうとする。
大人の思惑に振り回されつづけ、かつ孤独な生活を強いられてきた皇帝は、自らの感情や考えを表現する方法すら身についておらず、精神もむしばまれていたのだろうと思わされる描写。
自分はこの描写を見て慄然とした。
それを見たランスベルク伯とシューマッハ大佐は強引に皇帝を連れ去る。
シューマッハ大佐が自嘲したように、まさに「茶番」。
大人の思惑に振り回される子供は不憫としか言いようがない。

幼児の頃から常に周りの思惑に振り回され続けた清の「ラストエンペラー」溥儀を連想した。