私の「電脳清朝史」愛好史(一)1996年春~2004年春

『歴史学研究』2020年9月号の創刊1000号記念特集「進むデジタル化と問われる歴史学」が面白い。目次は下記リンク先を参照されたい(2020年9月15日閲覧)。
http://rekiken.jp/journal/2020.html
自分としては、特に、大澤肇「中国語圏の電子図書館・データベースと中国近現代史研究――アウトリーチ活動を中心にして」(p11-23)と佐藤信弥「「電脳中国学」の20年」(p51-55、61)を興味深く読んだ。
両論考は、現時点での中国史・東洋史におけるデジタル化の進展、インターネットの活用、ネットでの学術情報の発信を知る上で必読。

特に佐藤氏は氏が初めてインターネットに触れてから現在に至るまで、いかにして「電脳」を活用して中国学を研究してきたかについてまとめておられ、とてもおもしろく読めた。氏の「読者諸氏にも自分なりの電脳××学の××年」があるのではないかと思う」には同感だった。

そこで、私もひそみに倣い、自分なりの「電脳清朝史」愛好史をまとめてみたいと思う。
なお、「電脳××学」というタイトルにしなかった理由は、自分の清朝史趣味はとうてい「××学」といえる水準ではないからである。まさに「ひそみに倣う」という格好で、誠にお粗末ながら以下つらつらと書いていきたい。

『歴史学研究』2020年9月号

『歴史学研究』2020年9月号

自分が初めてインターネットに触れたのは1996年春に関西大学の大学院博士課程前期課程(修士課程)に入学した時だった。
その頃はちょうどインターネット黎明期で、中国史・東洋史におけるデジタル化・インターネット活用が始まった時代だった。
指導教授の研究室のパソコンで台湾の中央研究院歴史語言研究所(史語所)のデータベース「漢籍電子文献」(1)http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm 以下、本章で引用するURLの最終確認日は2020年9月15日である。にアクセスし、歴代の正史、多種多様な漢籍を検索できたときの衝撃は今でも忘れられない。こんな便利なものがあるのかと。
自分は清朝史を専攻しており、研究テーマに沿ったキーワードを検索し、それを元に『清実録』、『大清会典』その他多種多様な史料へと調査範囲を広げていった。

ただ、その頃は家業が傾いていたこともあり、まだ自分のパソコンを持ってはおらず、研究室で時々パソコンを使わせてもらう程度だった。
ゼミ発表や修士論文はワープロで書いていた。史料上の漢字でワープロにない漢字についてはコツコツ外字を作成していた。
大苦戦の挙げ句、1998年秋に半年遅れで修士論文(2)「清代火器営考」https://talkiyanhoninjai.net/qingdaihuoqiyingkaoを提出した。テーマは清朝の八旗の「火器営」という部隊についてだった。

修士課程を修了したころには気力も経済力も尽き果てており、博士課程後期(博士課程)に進学することはなかった。
それからは家業を手伝ったり、アルバイトをして生活し、インターネットと清朝史からはしばらく離れることになる。

自分のパソコンを買ったのは2000年に陸上自衛隊に入隊した後のことだった。
陸上自衛隊に入隊した理由は、神戸市の就職説明会で自衛隊の地方連絡部(現在の地方協力本部)の方に騙され、ゲフンゲフン、勧誘されたからだった。
他に職もないし、飯は食えないし、自衛隊というものに少し興味もあったので陸上自衛隊に入隊した。
なぜ陸上だったかと言えば、海上は船酔いするから嫌、航空は飛行機が落ちたらオシマイだというただそれだけの理由だった。

2000年の春に入隊してから3ヶ月間は大津駐屯地で新隊員としての基本を叩き込まれた。
その頃は歴史関連の本を読む余裕などあるはずもなく、鬼軍曹にしごかれながら、脱落しないよう訓練についていくに必死だった。
修士論文の頃に火縄銃について調べていたが、まさか実際に銃に触れることになるとは思ってもいなかった。初めて銃を持ち、実際に撃った時のことは忘れられない。

ただ、中国史・東洋史への思いは消えておらず、たとえ一日5分でも中国語のCD、中国語曲のCDを聴くようにしていた。特にフェイ・ウォン(王菲)の曲は心の慰めになった。
CDを聴いていたのは夜に半長靴を磨く時間だった。靴をきれいに磨いていないと腕立て伏せが待っている。だが、靴磨きをしている時は座ってヘッドホンでCDを聴ける数少ない時間だったため、新隊員のみんなはそんな貴重な時間を利用してCDを聴いていた。そして私はフェイ・ウォンを聴いていた。
大学院修士が陸士(一兵卒)として入隊し、しかも中国マニアということで、まわりには変わり者扱いされたが、同時に大いに助けてもらった。
その時同じ営内班(大部屋)だった隊員・元隊員、そして鬼軍曹殿とは今でも交流が続いている。

次の3ヶ月間は各職種の専門教育の期間で、その頃には少しまわりを見渡す余裕もできた。
教官が「走れ走れ」な人で、毎日ハードなトレーニングと座学を課せられ、熱中症でぶっ倒れ、血尿も出した。
そんな中でも半長靴をピカピカに磨きながら、フェイ・ウォンのCDを聴き、中国語を忘れないようにした。
その頃、『ファイナルファンタジー』というゲームでフェイ・ウォンの曲が使われたこともあり、フェイ・ウォンについて色々聞かれたことも。
貴重な自由時間には、顧頡剛著、平岡武夫訳『ある歴史家の生い立ち――古史弁自序』(岩波文庫)を読み、中国史・東洋史への思いを忘れないようにしていた。

そして半年の教育期間が終わり、中隊へと配属。2000年の秋に自衛官生活が本格的に始まった。
そして初めてノートパソコンを買った。
パソコンを買った目的はまずデスクワークのためのパソコンの勉強、次になんといってもインターネットだった。

自分の配属先はデスクワークが主体で、パソコンの知識は必要不可欠だった。
パソコンの基本的な使い方は自衛隊で学んだといっていい。
また、暇を見て、当時流行していたタイピング練習用のゲームソフトや上官に教えてもらったフリーソフトの「美佳のタイプトレーナ」
(3)通称は「美佳タイプ」、詳しくは「美佳のタイプトレーナのホームページ」を参照。 http://www.asahi-net.or.jp/~BG8J-IMMR/でタッチタイピングの練習にも励んだ。
言ってみれば、「自衛隊」という名のパソコン教室に通ったようなものだった。

インターネットだが、駐屯地内の営内班の4人部屋で暮らしていたので、自分で勝手にネット回線を引くわけにはいかず、モバイルでネットにアクセスした。
当時はDDIポケットのH”(エッジ)というモバイル端末をノートパソコンにつないでインターネットにアクセスしていた。
今とは比べ物にならないほど遅い通信速度だったが、パソコンでいろいろな歴史系のホームページにアクセスできるようになった。
それがインターネットによる歴史趣味の始まりだった。

モバイルインターネットは後に定額制のAirH”(エアエッジ)に移行し、勤務の終わった夜間や休日に好きなページにアクセスしていた。
歴史系のホームページで歴史愛好者の方々と交流し、時々中国大陸や台湾の中国史・東洋史・清朝史関連のページを覗いては面白い記事を保存したりしていた(4)本稿執筆にあたり、当時よく訪問していたホームページを探してみたが、その多くは閉鎖または移転したようである。
その頃は「電気羊」というハンドルネームで歴史系ホームページの掲示板に書き込んだりしていた。
ハンドルネームの由来は言うまでもなくフィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』である。

自衛隊生活で経済的な余裕ができたので、余暇や休暇には京都の朋友書店、古本屋街、さらには東京に遠征して神保町の東方書店と古本屋にも足を運んで、本を買ったりもした。

自分のロッカーには戦闘服とともに清朝史関連の本も入れるようになった。
戦闘服の隣に『八旗通志』(5)『八旗通志』東北師範大学出版社、1985年。が並ぶという今思えば凄いロッカーだった。

また、その頃から『人民日報』の「人民網」(6)http://www.people.com.cn/など中国のメディアのウェブサイト・メルマガの記事をチェックし、中国語読解力を養うようにしていた。
自衛隊に残るにせよ、出るにせよ、中国語は役に立つと考えたからだ。

自衛隊生活でいろいろな貴重な経験をした。本を一冊書けるぐらいのネタはある(各方面に迷惑がかかるので実際には書かないが)。
八旗制度と陸上自衛隊のいろいろな制度を頭の中で比較したりもした。
やっぱり似ている点が多かった。特に八旗制度における「ニル niru」と現代における「中隊」は隊員の生活と有事の際の行動における基本単位であり、機能も規模も非常に類似しており、「ニル niru」を英語で“company(中隊)”と訳す理由がよく理解できた。

だが、自衛隊では昇任試験に落ち、また挫折も経験し、自衛隊での将来像が描きにくくなった。
そこで、自衛隊生活の4年間でお金が貯まったこともあり、2任期4年で除隊し、中国の瀋陽へ語学留学することにした。
瀋陽を選んだ理由は、まず第一に清朝のルーツである遼寧省に住んでみたかったこと、第二に中国語学習に集中するため日本人留学生が比較的少ない地方都市にしたかったということだった。

2004年春、いろいろなことがあった自衛隊を除隊。
瀋陽へ。

長くなったので以下(二)につづく。

戻る1 http://hanchi.ihp.sinica.edu.tw/ihp/hanji.htm 以下、本章で引用するURLの最終確認日は2020年9月15日である。
戻る2 「清代火器営考」https://talkiyanhoninjai.net/qingdaihuoqiyingkao
戻る3 通称は「美佳タイプ」、詳しくは「美佳のタイプトレーナのホームページ」を参照。 http://www.asahi-net.or.jp/~BG8J-IMMR/
戻る4 本稿執筆にあたり、当時よく訪問していたホームページを探してみたが、その多くは閉鎖または移転したようである。
戻る5 『八旗通志』東北師範大学出版社、1985年。
戻る6 http://www.people.com.cn/