論文100本ノック――1本目(2021年1月3日)

1月1日に書いた「年頭の決意――2021年、基礎固めの年に」で「清朝史関連の論文を年間100本読む。」という目標を立てた。
100本とは全く少なすぎるが、私のようなものぐさで三日坊主な人間にはこれぐらいがちょうどいい。
そこで今日からそれを実行していきたいと思う。
今後は毎週金曜日に読み終わった論文の書誌情報と簡単な概要を記していきたい。

 

今年最初に読んだのはこの論文。

 

1本目:王天馳「康熙朝『黒図檔』から見た盛京地方の内務府包衣」(『史林』第103巻第4号、2020年、p.533-555)

https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/259171

『黒図檔』とは、盛京地域の帝室の家政機関である盛京内務府(その前身の盛京佐領)と北京の総管内務府および盛京の他の役所との間で交わされた往復文書を集成した文書群である。

まず『黒図檔』名称とその由来、現在の状況、主な内容、研究状況、史料としての意義について紹介する。
『黒図檔』とは満洲語で「hetu baita be ejehe dangse」(hetuのことを記録した檔子(文書))である。
筆者の王氏は遼寧省檔案館の張虹氏の研究を基礎としつつ、文書の題名に現れる「hetu」の用例につき検討している。そして「黒図」は満洲語の「hetu 横」の音訳であるというこれまでの解釈ではなく、「hetu」は「ほかの」という意味で、元々はカテゴリーに分類できない「その他の文書」を指していたが、後になって檔案の整理者がこの名前を文書群全体の名前としてしまった可能性が高いと指摘している。
さらに、康熙時代の盛京地域の法制史・社会史に関する研究はこれまで皆無に近かったが、康熙朝『黒図檔』の出版により、こうした状況が一変することに期待を寄せている。

次に八旗の「booi」(包衣、帝室・皇族の家政組織とそれに属する人間)をめぐる諸問題について論じている。
本文では『黒図檔』に所収されている紛争・裁判文書、さらに文書行政の実態、文書群の整理、『黒図檔』の裁判文書からうかがえる包衣たちの管理体制、出自・アイデンティティ・言語の様相についても紹介されている。

本論文では康熙時代の盛京地域社会における「booi」(包衣)たちについて、『黒図檔』を元に生き生きと紹介されていた。
そして、「booi」は、従来の言説でいう「旗人」・「民人」・「満洲人」・「漢人」のどのカテゴリーにも完全には当てはまらない複雑な様相を呈していたことが明らかにされており、誠に興味深かった。個人的に面白かったのは、裁判文書で当事者たちが入関前の昔を回想する際に時々「遼東を得た年」、「二回目の朝鮮に出兵した年」といった歴史的な大事件を基準にしていたこと。当時は元号を使用するよりもそうした方法での記憶・叙述が行われていたこともあるらしい。

今日はこれだけ。
明日以降もいろいろ読んでいきたい。

次は1月4日(月)から1月8日(金)に読んだ論文を1月8日(金)に載せる予定。