論文100本ノック――1本目 毛利英介「『靖康稗史』存疑」(『東洋史研究』83-1、東洋史研究会、2024年6月)
今年は東洋史特に清朝史・中央ユーラシア史の論文を100本読むことにした。
実は2021年にも同様の試みをしているのだが、三日坊主で早々と挫折している。
最近東洋史の論文を読めていないので、できる限り読むことにしたい。
1本目は、毛利英介「『靖康稗史』存疑」(『東洋史研究』83-1、東洋史研究会、2024年6月)。
ネットで少し話題になっていたので読むことにした。
以下、要約と感想を書く。
毛利英介「『靖康稗史』存疑」(『東洋史研究』83-1、東洋史研究会、2024年6月)
「靖康の変」を描いた野史『靖康稗史』の真贋問題について論じる。『靖康稗史』では「洗衣院」など金の宋に対する性暴力の記述があることで一部で有名。
著者は、まず第一章で版本の伝来上の問題について論じる。『靖康稗史』は、南宋代に中国で成立し、元代以降朝鮮半島で伝来し、清末に中国に還流したとされるが、実際には清末以前に存在した明証がないことを確認している。
第二章では『靖康稗史』に収録された「宣和乙巳奉使金国行程録(行程録)」のテキストを他書と検討している。著者は、靖康稗史に収録されたテキストは光緒五年(1879)の袁祖安活字本と基本的に一致していることを論証している。
第三章では「行程録」以外の問題点、特に用語について検討している。そして著者は『靖康稗史』に登場する女真語など非漢語語彙の音訳表記に清代の表記が登場することを指摘。特に乾隆年間の四庫全書編纂時に非漢語語彙の音訳漢字が変更されたあとの表記が大量に登場することを示している。
著者は、これについて、『靖康稗史』が清末において四庫全書編纂前後の諸史料を参照して作り上げられた可能性を強く示唆するとしている。
「おわりに」で著者は以上の論考を受け、『靖康稗史』は清末の偽書であり、1879年から1892年の間に捏造された蓋然性が高いとしている。そして筆者は基本的に『靖康稗史』は研究において使用すべきではないとする。著者は仮説として、断定は避けつつも『靖康稗史』の捏造は反満思想を助長することを目的としたとしている。
感想としては、第二章、第三章の史料批判が非常に見事だった。
本論文での『靖康稗史』の引用箇所を見ると確かに清代に使用・制定された満洲語の漢字音訳表記が大量に登場している。
清代専攻の私にとっては見慣れた表記だが、南宋代または金代には登場していない表記である。
つまり、南宋時代に女真語など非漢語の漢字音訳において使用されるはずのない表記が登場している。
そこから真贋問題へと切り込んでいく論の組み立て方は明快でわかりやすかった。